Archive for January 2007

29 January

不二家とあるある問題

食べ物にかかわる話題が世間を騒がせている。
一つは不二家。
もう一つはあるある大事典である。

いずれもマスコミが総出で悪者に仕立て上げてバッシングするといういつものパターンである。

ちょっとしたきっかけでどんな些細な話題でも針小棒大に報道する。
もちろん、悪意を持って。

不二家は賞味期限切れ食材の使用でバッシングを受けている。
衛生管理のずさんさと、その不具合対処への姿勢は、あまり高いとはいえないレベルなのは確かだ。
細かいことまでいろいろ取りざたされてしまうレベルなのは間違いない。

あまりにもずさんだったから、報道される話題にも事欠かない。
スキだらけである。
「パートの人がやりました」
社員じゃないから仕方ありません、責任逃れとも受け取れる表現がポロリと出る。
「虫が入っていました、時々あることで、安全性に問題ないと説明しました」
事実であろうが、この時期にいうならもう少し表現を考えるべきだった。

しかし、これらのスキだらけの不二家のコメントに関する報道を眺めるに、「雪印のようにつぶしてやろう」というような悪意に満ちたメッセージを暗に感じずにいられない。
非常にいやな気分になる。

衛生管理の手法はここ数十年で飛躍的に進歩した。
調理品に虫が入っているなんて考えられない時代になった。
それが、消費者の衛生への意識の低下を生んだ。
衛生は自分で管理するものではなく、製造者の責任であるかのような流れになってきているのだ。

はっきり言おう。
冷凍冷蔵、冷暗所保存の指定さえ守っていれば、賞味期限を1日過ぎたくらいで食品がダメになることなんてありえない。
そこから先は自己責任で管理すればよいことである。

しかし、賞味期限を過ぎたら、保障してくれる人が誰もいないから、もう食べちゃいけないというのが現代の衛生感覚である。
もしかすると消費者は自己判断をしなくなったともいえるかもしれない。

不二家はそこを読み違えた。
本来、不二家の責任で賞味期限を設定すればそれでよいはずだ。
たとえ賞味期限を過ぎていようと、消費期限を過ぎていようと、不二家自らがその材料が使えるかどうかを判断し、自らの責任で賞味期限を保障すればよいのだと考えたのだろう。
これは全く正しい。

しかし、いまや消費者はそれを許さない。
生産者がもう保障できないといったらもうダメなのだ。
賞味期限を過ぎたら、もう食べちゃいけないのだ。
不二家の判断は信用できないのだ。
彼らが保障するといっても、さかのぼって全ての生産者と全ての中間業者が保障できるものでなければ安全ではないのだ。

この辺、どうも違和感を感じる。

ところで、残念ながら、賞味期限を一日過ぎた程度の食品を、もったいないと表現する報道はまだ目にしていない。
いや、あるのかもしれないが、あまりにも少ない。
「捨てるべきなのに、捨てなかった」と批判するが、もったいないとなぜ思わないのか。

もちろん、賞味期限内に消費するのが不二家に課された義務であろう。
もったいなくても、消費者のニーズを踏まえれば安全のために廃棄すべきだし、そもそもそういった材料の仕入れを読み違えているのは製造業としてはあまりにもユルい。

だが、マスコミがここまで不二家批判一辺倒であることにどうしてもファシズム的なものを感じてしまうのである。
蛾の幼虫や小石混入が他の食品メーカで見つかったり、賞味期限切れの材料を使った事実が発覚したりしても、しつこく名前を出されるのは不二家だけなのである。

一時期、「三菱の車が燃えたときだけ報道された」のを思い出す。
地回りの記者が地元の市町村の消防局に「三菱以外の車が燃えても連絡はいりません」と言ったなんて話も残っているほどである。
恣意的なものを感じる。

そういえば松屋カエル牛丼事件なんてサイトが話題になったこともあったっけ。
白菜キムチの間に、おそらく白菜を収穫するときに混入したと思しきカエルが入っていたという話。
筆者が、松屋にクレームをつけていくうちに、本人も意図しないまま、だんだんと暗に金銭を要求するクレーマーに変質していくさまが面白かった。

自然のものに自然のものが混入するのは致し方ないことであろうなぁ。
問題はお腹を壊すか壊さないかだと思うのだけれど。


一方のあるある大事典である。

これまでもいろいろと問題が取りざたされていたあるある大事典に、マスコミはこれまで批判らしい批判もしてこなかった。
ある意味消極的ながら肯定していたといえる。
そんな連中が、手のひらを返したように連日あれもウソ、これもウソと報道する。
非常に不愉快である。

確かに、検証実験に手抜きがあり、事実でない実験結果を元にあたかも検証済みであるかのような結論を示したことは問題である。
しかし、「納豆を食べてやせる」という主張は、(実はかなりの論理の飛躍があるのだが)これまで放送してきた内容のレベルから言えば、決してウソではない。

納豆に含まれるある成分が、ある化学物質の分泌を促す

その化学物質が分泌されることにより、体脂肪の燃焼が促進される

納豆はダイエットに効果がある

マスコミは、これまではこの番組のこの程度の論理的飛躍は放置してきたじゃないか。
どうしてまるで全てがウソであるような報道をするのだろうか。
いや、実は注意深くみていくと、検証結果のウソだけを批判している記事やニュースが多いのだが、見出しは「納豆でダイエットはウソ」である。
錯誤を誘引しているとしか思えない。
汚いなぁ。

で、不二家もそうだが、マスコミがすぐ求めるのは社長の辞任である。
そりゃ最高責任者だから責任は重い。
だけど、「責任をどうお考えですか」なんてインタビューは言外に「辞めさせたい」という思いに満ち満ちている。
責任を取るって、辞める以外にどんなオプションを想定しているんだ。
マスコミは面白がっているだけで、やめさせたいだけではないか。
一番偉い人がやめるのがそんなに面白いか。
本当の解決になるのか。
辞任に追い込むことで自分たちの力を誇示したいだけではないか。

常々思う。
マスコミの連中に何の権限があるのか。
自らを異常だとは思わないのか。
本当に不思議である。

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22 January

帰国

そういうわけで無事帰ってきた。

初めてアメリカに行ったのだが、全く違和感なくなじめるお国柄であった。
逆に日本がそこまでアメリカ化されているのだなぁとも思ったりしたのだが、それだけでもないような気もしてきた。

今まで訪問した国は、ソ連及びロシア、中国、モンゴル、韓国、シンガポール、フィリピン、インドネシア。

どこへ行ってもやっぱりどこか外国であるという感じがした。
それでも韓国はほぼ日本と同じ感覚で町を歩けるので、違和感が薄かったのだが、やっぱり街中はもちろん、空港に降り立った瞬間から匂いが違うのは大きかった。
(ニンニク臭いというだけではない)

だが、アメリカは、はっきりいって全く問題を感じなかった。
多分、生活していく上ではかなりなじめると思う。

ご飯の量は多いし、服のサイズは自分に合うものを普通に売っているし、普段から車生活だから感覚も合うし。
例えば、ホテルで出る朝食が朝っぱらから激甘シナモンロールとか、シロップたっぷりワッフルとかいったものか、あるいはシリアルだったりとかするのだが、ぜーんぜんいやじゃないし。
ちょっとしたつなぎとか手軽な朝ごはんにドーナツ食べるのも好きだし、アイスクリームもパイントで食べちゃうし、コーヒーをでっかいカップでがばがば飲んで暮らすの平気だし。

アメリカという国自体は決して好きではないが、ここまで自分の生活がアメリカンスタイルになじむものだったとは驚きだった。
やっぱり、輸入食品を喜んで食べたり、コストコで買い物したりするのはもうやめておこう。

ところで、今回はかなり忙しい出張だったのと、ショッピングができる場所に立ち寄ることができなかったので、これといった面白いお土産はなし。
某グローバル企業C社のお膝元、ペオリアに行って来たのでC社グッズをちょっと買ってきたくらい。
以前はC社の略称をモチーフにした漢字キャップ「猫」なんてのもあったのだが、もう今は流行も廃れてしまったのでおいていなかった。

一番のお土産は、なぜか焼酎。
JAL機内販売の森伊蔵・10年古酒「楽酔喜酒」だったりする。あほか。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/business/28832/
http://373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=1445
http://www.moriizou.jp/item/new/index.htm


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17 January

米国本土決戦

急な出張でアメリカ・シカゴへ行ってきます。

日程は17日出発で21日帰国。
3泊5日の強行日程で、ほとんどが移動時間。
遊ぶ時間はほぼありません。

うちの会社のルールで、海外出張で片道8時間以上飛行機に乗る場合は、ビジネスクラスを利用していいことになっているので楽しみにしていたら、なんと、急な出張で予算がないのでエコノミーだということが判明。
旅程表に「クラス/B」と書いてあるので確認もしなかったのだけど。
どうも、ビジネスのBじゃなかったみたい。

紛らわしいんじゃい!
こんな大きな体なのに、狭くて死んじゃうよ。

ちなみに、米国本土は初上陸。
ケータイも海外仕様に機種変更してみました。

せっかくなのでブログのネタも取材してこようと思っております。


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08 January

病院の対応に笑う(地球の裏側から・続き)

年末、父が海外で倒れた記事を書いた。
ところが、途中まで書いてそれっきりにしたので、その後、お宅のお父さんはどうなったのかとたびたび問い合わせを頂いた。

ご心配をかけ、申し訳ない。
父はその後無事に帰国し、今では言葉もだいぶ戻り、杖をつきつつひょこひょこ歩いている。
少なくとも年内には一人でトイレが済ませられるところまで回復したほどだ。
これもご心配を寄せてくださった皆さんのお陰である。

前回書いたところは17日の深夜の電話を受けたところまで。
この続きから書くことにする。

さて、母からの依頼に基づき、早速病院に電話をする。
電話を受けた翌朝18日の朝9時頃、会社から会議の合間の時間を利用して病院に電話をしてみた。

まず、かかりつけ診療科に直接連絡連絡を取り、説明した。
いつもその診療科の○○先生にかかっていること。
ペルーで倒れ、入院していること。
金曜日の午後の便で帰ってくる予定になっていること。
病院に着くのは金曜日の夕方または夜になってしまうこと。
診察してもらえるのか、また、必要ならば入院ができるのか。

答えはこうである。
「外来の相談ですね。それなら内科総合案内にかけてください。」
さすが大病院である。
これがもっとおろおろしてパニックになっている患者の家族だったら、電話越しに大喧嘩である。
患者の家族の心情などあまり察しているとはいえない回答である。

しかし、自分も大病院に通院する身。
はじめからそんなもんだろうと思っていたので、腹も立てず素直に案内された番号にかけてみた。
同じ説明をする。
「そうしましたら、担当の診療科に回しますのでお待ちくださいね。」
・・・さっき担当の診療科からこちらにまわされたのだが。

よく聞いてみれば普段通院しているのは脳神経内科、脳内出血は脳外科らしい。
うん、つまりさらに違う診療科に回されたということに違いない。
いいように解釈し、そこでももう一度同じ説明を繰り返す。

で、最初の一言はこうである。
「金曜日は診察が5時までですから、月曜日に来てもらうことになりますね。月曜日の朝8時半から受付してますので、外来の内科総合受付まで来てください。」

こいつは話を聞いていたのだろうか。
帰宅は金曜の5時を過ぎてしまうのだが、容態が心配なので何とかならないか、という話をしたはずである。
そんな受付時間のことなら病院の前の大きな看板にも書いてある。少なくともHPで電話番号を調べているのだから、そちらでも確認済み、先刻承知もいいところである。

大病院は仕方ないなと思いつつも、あまりに的外れでだんだん脱力してくる。
しかし、これだけではなかったのだ。
この後、この電話の相手はそのとんちんかんぶりを最大限に発揮する。
あまりにも面白かったので以下に再現するが、おそらく、愛読者の皆さんにもその脱力感は伝わることと思う。

こんな会話である。

あの、5時を過ぎてしまうんですけど何か方法はありませんか、という意味なんですけど。
「でも、診察5時までなんです」
じゃ、診察できないということですね。
「そうです」
あの、入院するような状態でも、ですか?
「今ベッドが満床なので、そういう状態でも順番を待っていただくことになりますねー」
いや、すでにペルーで倒れて入院しているんですけど。
「でも、診察してドクターの判断をもらわないとわかりませんのでー」
あの、ペルーで診断してもらっているんですが。
「いえ、脳内出血なら脳外科かもしれませんし、脳梗塞なら脳神経内科のほうになりますんでね」
いや、脳出血だとの診断なんですが。
「そうですか、でも診てからでないとドクターがなんていうかわかりませんから」
はぁ(絶句)
「あとですね、診察に来られる際には紹介状をもらってきてくださいね。」
え、向こうからですか?
「はい、かかりつけ医の紹介状がないとですね、初診料を○千円多くお支払いいただきますので」
(このシステム自体、完全に日本国内のルールなのだが)
いや、あの、海外の病院からでもですか?
それに、おたくの病院にもがかかりつけ医がいるんですが。
「それでも必要なんです(きっぱり)」
(別に数千円くらい取られてもかまわないのだが…)
あの、向こうで撮ったCTとかカルテ類とか診断書とかいったものは必要ですか?
「おそらく写真とかカルテは病院が出さないと思います。診断書もあればいいと思いますが、紹介状をお願いします。きちんと○○大学病院宛と書いてくださいね。」
(後でわかったことだが、ペルーではCTとかレントゲンは撮影して買って来ることができた。)
あの、スペイン語でいいんですか?
「それはこまりますね。日本語で。」
今、ペルーの病院なんですよ。日本語なんか無理でしょうよ。
せいぜい英語がいいところですよ。
「じゃぁ、英語なら分かる人もいると思いますけど・・・できるだけ日本語で。」
(ついにこのへんでこっちも笑いがこらえられなくなってくる。
たいていのドクターは英語で書いてあることくらいならわかる。)
じゃ、ちょっと話をまとめますよ。
○○大学病院宛の紹介状を書いてもらう。
「なるべく診療科まで書いてください」
え、さっきドクターが診ないと診療科が決まらないって言ってたじゃないですか。
「いえ、向こうのドクターが判断したならそれでも結構です」
はぁ。(また絶句)
ええと、続けます、
写真はあればもらってくる。
診療時間は5時までなのでそれを過ぎるなら月曜日にする。
いいですね?
「はい、じゃよろしくおねがいしまーす(といって電話を切ろうとする)」
ちょっと待ってください、金曜の診察については、救急車で入っても駄目なんですか?
「ええと、ちょっと聞いてみますね」
「・・・あの、どうしても心配ならですね、急患の窓口の方にお越しいただければ当直医が診察します」
(それを聞いてるんだよ!!)
「でも、その場合はうちの診療科の担当医とは限りませんので、また改めて月曜以降診察となります」
(か、頑なだなぁ)
わかりました、(一応)ありがとうございます。

どうだろう。
なんとなく力が抜けてしまったわけをご理解いただけただろうか。

後で妹にこの話をしたのだが、電話口に出たのは看護婦ではなくて医療事務のお姉さんではないかとのこと。
看護婦ならもうちょっとましだと思うわよとは元看護婦の妹の弁である。

ずいぶん疲れる電話だったが、必要なことはわかった。
早速ペルーの母へ電話。
現地は17日の夜である。
こちらから現地へかけたのはこの一回だけである。

必要なことを伝える。
その日の様子を聞くと、あんまり元気で驚いた、明日退院だがどうせ宿にいるだけなので、もう1日退院をのばしてもらったとのことだった。

このままなら予定通り帰国できそうだとのこと。
ちょっと安心する。

帰国まではもうひと悶着あるのだが、それはまた次に書くことにする。

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01 January

箱根駅伝に思う

新年明けましておめでとうございます。

愛読者の皆様におかれましては、旧年中は大変お世話になりました。
今年も時々好き勝手なことを書いて更新していきますので、どうぞご愛顧くださいますようよろしくお願いします。

ところで、正月になるたびなんだか納得いかないのが箱根駅伝中継の存在である。
箱根駅伝は、毎年1月2日と3日の午前中、日テレ系列で中継されている。
生中継するようになったのは意外と歴史が浅く、80年代からだそうである。
あれが正月の風物詩になっていることに、違和感を感じてならないのだ。

そもそも、自分はマラソン中継を見ていられない。
マラソンを最初から最後まで2時間以上見ていられる人の気が知れない。

マラソン中継なんて、ただ走っているだけで、何の面白みも感じられない。
最後の順位だけわかれば8割方の情報は得たも同様ではないか。
抜きつ抜かれつの見どころなんて本当に数ヶ所、トータルで数分あるかないかである。
だったらハイライトで見せ場だけ流して、結果を知らせれば、残りのほとんどの時間は不要ではないのか。
中継したいなら生中継なんてしないで、30分の録画番組くらいにしておけばいいではないか。

で、そんな自分がさらに箱根駅伝を気に入らないのはそれが所詮学生の大会であるということである。
学生さんの課外活動の発表会ごとき、TVで中継するほどのものじゃないでしょう、と。
ナベツネさん、学生の本分は学問なんじゃなかったのか。
プロじゃないんだから、中継なんかいらんでしょうよ。

そういう意味では元日の実業団のニューイヤー駅伝なら多分まだ許せるのである。
所詮はたかが大学の陸上部の駅伝競走を、なぜ全国放送で何時間もかけて流すのかがわからない。

さらに、種目の選択も納得がいかない。
駅伝に特別な価値でもあるのだろうか。

学生のスポーツの大会はどんなものでもTVで流すというなら話はわかるが、TV中継される種目は全く偏っている。
ラグビー、野球と並んでなぜ駅伝を流す必要があるのか。
サッカーやバレーボールは決して人気のないスポーツではないのに、なぜ流さないのか。
もっというと、例えばアメフトは、柔道は、アマレスはなぜ流さないのか。
もちろん絵になる種目とそうでない種目があるのはわかるが、その取捨選択には公平性を全く感じない。

もちろん、学生スポーツという意味では自分は甲子園の高校野球も、ラグビーやサッカーの高校生全国大会も、同様の理由であまり好きではない。
高校生の、所詮発表会程度のものを連日熱心に放送するのは馬鹿馬鹿しいとは思う。
地元の高校や母校が出たというなら応援のし甲斐があるだろうから、そういった楽しみもできるだろうが、ほとんどの人には関係ない大会を、関係ない人々がなぜ楽しめるのかが理解できない。

が、箱根駅伝はそれ以上に偏っている点がある。
甲子園は腐っても全国大会である。
しかし、箱根駅伝は「関東」大学対抗戦である。
「全国」大会でさえないのである。
関東の大学だけが参加を許される大会を、なぜか全国に流しているのである。

なんじゃそりゃ。
地元の大学が出場資格さえ与えられない大会を、関東以外の人はどう楽しめばいいというのだ。
むしろそれを楽しめというのは在京キー局の傲慢である。

お陰で、逆の現象も起こっている。
有望な高校生陸上選手が、圧倒的に関東の大学の陸上部に集中するのである。
全国放送で注目される箱根駅伝に出られるからである。
一方で有望な選手が採れずに地方の大学の陸上部の地盤沈下が進む。
箱根駅伝はそんなものにも加担しているのである。

世間には「正月三が日といえば駅伝だよね」なんて公言してはばからない人々がいるが、こういった人々の大半は箱根駅伝が全国の頂点を決める大会であるかのように思っている。
これはテレビ局の事前の煽りで「思い違い」をさせられているだけである。
例のごとく、TVお得意の情報操作である。

前後になるとドラマ性を高めたドキュメントをさまざまな番組で取り上げ、否が応でも因縁やら対決やらを盛り上げる。
究極的には土日の昼間のような視聴率の低い時間帯に事前の煽り番組まで流す。
こういったTVスポーツ中継のバラエティ化は昨日今日始まったことではないが、昨年の亀田−ランダエダで多少行き過ぎへの反省が取りざたされた程度で、TV屋どもの姿勢は基本的に全く変わっていない。

もちろん、正月なんてたいした番組もないからという理由で、ただなんとなく環境映像的に流しているだけの人も少なくないだろうが、こんな偏向した放送にチャンネルを合わせることで、視聴率向上に協力する必要もないだろう。

是非反箱根駅伝活動にご協力を頂きたい。


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