31 August

ライブに行かない理由1/31

今日もショートバージョン。

「音楽を聴かないのか」といわれればむしろ「そんなことはない」と答える。

洋楽を中心に所蔵CDは400枚を超える。
自動車通勤の友はJ−WAVEであり、ラジオがつまらなければ6連装CDチェンジャーの出番である。

カーステレオのボリュームはやや大きめで聞く。
そうは言っても窓を開けて運転して外に漏れるほどではない。
救急車が後ろから来ればわかる程度だ。

ただ、音楽だけに集中することができない。
基本的に「ながら聴き」になる。
同じものを繰り返し楽しむよりは新しい情報の刺激が欲しいと思ってしまうので、本を読んだり雑誌を読んだりしながら、気に入ったメロディーを聴くことになる。
ただし、耳を使うのが競合する場合、たとえばラジオやテレビの方が楽しければそちらがメインになる。

そもそも、マンガ読みながらテレビも観る人間である。
PCで倍速回しの洋画DVDの字幕を読みながら地上波のTVでニュース番組を観つつ







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17 April

家庭用自動水洗トイレの危険性に警鐘を鳴らす

下世話な話で申し訳ないが、最近、会社のトイレの個室で、使用後に流していかない輩が目につくようになった。
一昔前の水洗が普及していない時代ならまだしも、このご時世に使用後に流さないでそのまま出ていくってどういうことなのか。
全く考えられない話である。

そんなトイレに後から入った者の気分と言ったら、いかに切羽詰まっていようとも最悪である。
いったい、どういう感覚なのか。
人間としての恥を知れ。

・・・と、そう思っていた。
数か月前までは。

しかし、我が家に自動水洗機能付きトイレがやってきて、その理由がわかったのである。

普段、勝手に流れるトイレを使っていると、自動化されていないトイレでも流さないで出てしまうのである。
流すのを忘れるのである。

これか!と思った。
使用後に水を流さない非常識な連中は、こうやって作られていくのか!と。
考えてもみれば、すでに自分もすっかり飼い慣らされてしまい、和式で用を足すことが大変つらくなってきている。
やはり、お尻は洗ってほしいと思うようになっている。

トイレの革新はあまりにも危険である。

最悪の場合、このトイレで育った子供たちは、流すことを知らないで育つのである。
サラサラ紙おむつの使用でおむつが取れる時期が遅くなっている現代の子供たちが、さらに下の世話ができない大人になっていくのだ。

現に、プッシュホンで育った子供たちは、ダイヤル式の公衆電話がかけられない。
受話器がコードでつながっている電話でさえ触ったことがない連中が大人になってきている。
今や会社で新人に最初に教えるのは、電話の受け方のマナーではない。電話機の使い方なのだ。
似たような例でいえば、テレビのチャンネルも同様だ。
現代っ子たちにとって、チャンネルはガチャガチャするものではない。リモコンがなかったらチャンネルの変え方がわからないのだ。
このような例は枚挙にいとまがない。

トイレの自動水洗化は、こういった類の、世界をじわじわと破滅に導く序章である。
この危険性にすべての人類は早く気付くべきである。


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05 February

ドレッシングは何になさいますか

プラクティカルジョークとして昔ホイチョイ・プロの「いたずらの天才の息子」に紹介されていたこともあると記憶しているのだが、今でも時々試してしまういたずらがある。
もちろん、むやみやたらといたずらを仕掛けて皆を困らせるのではなく、ちょっと態度の悪いウェイトレスなんかを困らせようというネタだ。

ファミレスでも、最近はちょっとした居酒屋でも、サラダのドレッシングは数種類から選べるのが一般的だ。
3種類程度から、多い時には6種類程度あったりする。

「ドレッシングは何になさいますか」
「ええと、どんなドレッシングがあるの?」

このいたずらはここからがキモだ。
バイトの店員は、たいていドレッシングをすべてひと固まりのフレーズとして記憶している。
「こちら、フレンチドレッシング、野菜たっぷりイタリアンドレッシング、中華胡麻ドレッシング、和風青じそドレッシング、サウザンアイランドドレッシング、シーザードレッシングからお選びいただくことができますが」

だから、常に決まった順番でしか紹介できない。
そこで、こう答えるのである。
「じゃ、その、後ろから2番目のやつ」

すると、店員は必ず困ったような顔をしながら、ぶつぶつとフレーズを呟きながら、指折り数え、しばらく考え込む。
その困った顔を見てやろうといういたずらである。
「ええと、サウザンアイランドドレッシングでよろしかったですか」

店員の態度によってはもうちょっと意地悪をしてもいいかもしれない。
「あれ、それじゃないな。後ろから3番目かな」

再びぶつぶつ言って、店員がこう切り返したら許してやろう。
深追いは禁物だ。
「ええと、和風青じそドレッシングですね」

時々間違える店員がいるのもちょっと可笑しい。
「あれ、中華胡麻…あれ、和風胡麻?」
おいおい、混ざってるよ。

このいたずらはできるだけドレッシングが多い時に行う。
間違ってもドレッシングが2種類しかない店でやってはいけない。
2種類では「後ろから2番目」もくそもない。

先日、久々にこのいたずらをしてやりたくなるような店員に当たったので、メニューを確認したところ、ドレッシングは5種類だった。

そこで、サラダを注文した。
「ドレッシングは何になさいますか」
…来た来た。
「何があるの?」

すると、やつは自分が広げていたメニューをひったくるように取り上げると、ページの隅を指さし、こう答えたのだ。
「メニューのこちらの5種類からお選びください」

負けた気がした。


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19 January

食感濫用と好き嫌い

最近、だいぶ市民権を得てきた「食感」という言葉だが、いま一つ意味が安定しないまま濫用あるいは乱用されている気がする。

一般的には「口当たり」「歯ざわり」「歯ごたえ」「口当たり」「のどごし」といった言葉を総合して「食感」と呼んでいるようだが、場合によっては「舌触り」「温度」といった意味合いも含まれるようだ。
食品業界などで使われていた専門用語が一般化した用語とのことで、TVなどで使われるようになってポピュラーになったらしい。
なるほどTVのグルメレポーターなどが貧弱な日本語力をカバーするのにもってこいの用語である。

新しい言葉なので、もちろん辞書にも載っていないことが多い。
ネットで検索しても、「食感」という言葉に違和感を感じるといったコメントが上位に来る。

簡単に表現するなら、「食感」とは、味以外の「カタカナの擬音・擬態語(オノマトペ)として表現できる食べ物の様子」であり、パリパリとかヌメヌメとかツルツルとかホコホコのことである。

残念なのは、それがよくわかっていないくせに気軽に「食感」なる言葉を使う連中が多いことである。
彼らは、好き嫌いの「嫌い」を表現するときに、「食感」を使うことが多い。

「納豆の匂いが嫌い」とか「納豆のぬるぬるした感じが嫌い」というよりも、「納豆の食感が嫌い」といった方が、シンプルでかつグルメっぽく聞こえるのがお好みなのだろう。

ちょっと前になるが、とある天然系、別の言い方をすれば「日本語と思考回路が不自由」な女性が、「玉ねぎが嫌い」というので、「玉ねぎのどんなところが嫌いなの?」と聞いてみたら「食感が嫌い」とのたまわった。
普通の大人なら知っていることだが、玉ねぎというものは、生と煮炊きしたものとはもちろん、切り方で食感が変わってしまう食いものである。
つまりこの女性、なぜ自分が玉ねぎが嫌いなのかが自分でわかっていないので、ちゃんと説明できないのである。もう、逝って良し。

だいたい、食べ物の好き嫌いなんざ、感覚的なものである。
見た目とか匂いとか、時々トラウマとかそんなものだ。
「生理的に無理」って言うのも本当は立派な理由なのである。
しかしながら、「嫌い」という発言に対し、「どうして嫌いなの?」と質問されてしまうのには理由がある。
その「生理的に無理」なところも含め、共感を得られていないからだ。簡単に言えば、説明不足なのである。

前述の女性でいえば、玉ねぎがあらゆる料理で風味のベースになっていることを踏まえれば、普段の生活で知らず知らずのうちに玉ねぎを食べているわけで、にもかかわらず「嫌い」と断定するものだから、受け手はその真意をはかりかねてしまう。
説明不足で共感を得られないわけである。
「生の玉ねぎが食べられない」とか、「玉ねぎの香りが苦手」とか、ややマイルドかつ具体的な表現をすれば理解を得られたかもしれないし、「形がなくなっていれば食べられます」とポジティブな表現をすれば受け手も納得がいく。

本来感覚的なものなんざ、どこまで行っても理解しあえるはずがない。
言葉を駆使してなんとか近いところまで連れてくるのは至難の業である。
そこで、お茶を濁そうと「食感が嫌い」なんてとんちんかんな言葉の使い方をすることが悲劇を招くのだ。
そもそも、その食感て何だよ、という話になる。
ここまで来たらもう中東問題も真っ青な泥沼である。

大人だったら、まずはこういった泥沼は避けて通るべきであろう。
いちいち説明をするのがめんどくさいとか、そういった無駄な論議をしたくないというなら、そもそもその衝突自体を避けなければならない。
「○○大好き」という発言に対し、「自分は○○が嫌いだ」等とバッサリ反論してはいけない。
無理やり食わされそうになったなら、ジンマシンが出たことがあって、極力避けているんですくらいにしておけばいい。
そもそも、一緒に○○食いに行こうといわれた時点で、ちゃんと○○以外のものが食いたいと代案を提示しなくてはならないのである。

かくも大人の世界は油断がならないものである。

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07 February

いいかげんにしろ、ひらばやし

以前にも書いたが、通勤時、セブンイレブンに寄るのが日課である。
ちょうど寄りやすいロケーションにある唯一のコンビニだからだ。
で、だいたい朝食になる軽食と飲み物、あとは雑誌とかガムとかいったものを買ってから会社に向かう。

で、これまた以前にも書いたが、少しでも時間を節約したい朝の時間帯にあって、レジ打ちが非常に遅い店員に当たるととても悲しい。
特に若い学生バイトの、それも男子バイトが遅い傾向にあると感じている。

いつもの店の、朝の時間帯のバイトのシフトが変わったらしく、兄ちゃん2人体制であることが多くなった。
以前はおばちゃん2人かおばちゃんと兄ちゃんの組み合わせだったが、今は新人らしいバイトの兄ちゃんと、ちょっと格上のバイトらしい兄ちゃんとの組み合わせだ。

この新人、名札からすると「ひらばやし」(仮名)が、ことのほかレジ打ちが遅いのである。

まず、カゴの中の商品を上から順番に左手に取る。
そして、いろいろひっくり返してバーコードを探し、バーコードリーダーを「ピッ」と当てる。
このとき、いちいちリーダーが正確に当たっているかどうか覗き込むようにするのが「ひらばやし」の癖だ。
この覗き込む癖のお陰で、バーコード読み取りが他の店員より1テンポ遅い。

読み取った商品を、「ひらばやし」はカゴの隣に置く。
そしておもむろにまた左手をカゴの中に突っ込み、商品を拾い上げ、読み取りを繰り返す。
「ひらばやし」はこの一連の動作にちっともスピード感がない。
([Read more of this post] 以下に続く)

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